砂上の賃貸 -17ページ目

小倉弁護士のブログをさらに読み込んでみる

さて、引き続き小倉弁護士のブログを読み込んでみようと思います。
まずは前回のエントリでは軽く触れるだけにとどめた「匿名」についての問題ですが、小倉氏のブログ内には非常に偏った発言が目立ちます。


「自分の発言に対して一切責任をとる気がないくせに、企業に対しては自分の発言を削除するな、変更するなと声高に発言し、要求をのまなければ他の業者のところに行くぞと脅す(あるいは、実際に他の事業者に切り替える)人が結構いるのだなあ」

「自由に、安全に闇討ちする権利」より)

これは、はてなの住所登録問題やライブドアのなど削除問題についての小倉氏の感想ですが、匿名の人間が「自分の発言に対して一切責任をとる気がない」かのように印象づけるネガティブキャンペーンです。「結構いるのだなあ」という言い回しをしようとも、それは明らかでしょう。

この辺についての小倉氏の発言の奇妙さについてはデパス四錠と煙草一箱さんのエントリに詳しく書かれているので、ぜひご参照ください。


こちらでは過激とも言えるミスリードを行っています。


「はてなが民事訴訟に耐えられなくなったり、近藤さんが児童ポルノ公然陳列罪の正犯として逮捕されるなりしてはてなが倒産しても、別のBLOGサービスに乗り換えればいいだけなので、良かった良かったと胸をなで下ろしているユーザーたちも結構いるのでしょうね。」

「BLOG事業者団体で共同出資した利用者情報管理会社が発行するID、パスワードを使用する等、トレーサビリティを確保するための仕組みを早急に作り上げないと、何かの事件をきっかけに、国家が利用者情報を管理するようになっていく可能性が高くなってきましたね。」

「今回住民登録に反対した人たちは、それがインターネット社会の国家による管理に繋がる重要な一歩であることをどこまで認識していたのでしょうね。もちろん、それを望んで、民間による管理の可能性の芽を摘むためにあえて煽っていた方々もおられたようですが。」

「それはともかく、被害者を泣き寝入りさせることも、新たなITサービスの導入が禁止されることも、ネット社会の国家による管理を招き入れることもないようにするために、はてなのみならず、現在利用者の氏名・住所を正確に把握していないBLOG事業者には、速やかに利用者情報管理会社の設立に向けて協議を始めてもらいたいものです。」

「残念!!」より)


えー、なんだかまるで軍靴の音が聞こえてきそうな内容ですが、これを読んでいると、国家の管理よりも、弁護士という権威をかさに世の中をミスリードしていこうとする人間のほうがよっぽど恐ろしいと感じてしまいます。

そもそも民間による情報の一元管理が国家のそれよりも良きことのように書かれているのもおかしな話ですね。民間のほうがよっぽど個人情報が漏洩・流出して、それが流れ流れておれおれ詐欺等に使われたりしているわけですが、そういう点は問題視しないんでしょうか。

コメント欄で「法律屋的な感覚だと、国に情報管理される方が、民間事業者に管理されるより、問題」と書いていますが、どう問題なのか不明瞭です。まああまり色々書くと「ちょっとどころでなく可愛そうなこと」にされてしまいかねないので控えておきますが。げに恐ろしきは権力なり。

このエントリのコメント欄では他にも

「「国家に規制されるのも自主規制するのも同じだというのがなんでわからんかな」(他のコメントの引用:引用者注)

で、「匿名による発言の自由はとても重要だから、匿名による発言によって権利を侵害された人はおとなしく泣き寝入りすべき」とか「匿名による発言であれば、何をしても構わない」という社会的コンセンサスが得られる見込みはあるのですか。」


などという素晴らしい書き込みもあります。論点のすり替えをさせたら右に出る人はいませんね。


他にも匿名に対して嫌悪を示す発言は数々あります。


「匿名の方(HNさえ名乗れない方も少なからずおられるのですね。)」

「バランスが大切」より)


「どうも、私に批判的なコメントをこのBLOGに書くことすら「匿名」でないとできない人が多いのには閉口します。私には、批判者を弾圧する権力などないんですが。何をそんなに怯えているのでしょうか。」

「自衛隊官舎ビラ撒き事件--さらに続き」より)


「このような考え方でいるものですから、日本の報道機関は、報道内容の真実性を根拠づける「取材源」をできる限り明示しようという考えに至らないのでしょう。そして、2ちゃんねるのような匿名掲示板や匿名blogの隆盛を見るにつけ、そのとき面白おかしければ、情報の正確性などどうでもよいというのは、日本社会に根付いた文化なのだろうかということで、新年早々暗澹たる気持ちになってしまいます。」

「取材源の秘匿」より)


匿名による権利侵害を憎むあまり、匿名全てが憎くなってしまったのでしょうか。匿名で情報の正確性を検証している人もいっぱいいると思うんですけどね。

まあ何にせよ、マスメディアは非難するけど朝日新聞は非難しなかったり、匿名はその内容にかかわらず見下すような内容を書いたり、妙な偏りが目立つ不思議なブログです。やはり職業的弁護士として安心して非難できる対象と、配慮が必要な対象とがあるのかもしれませんが、果たしてポジショントークが含まれているのか、全て本音なのか、本人のみぞ知ると言ったところでしょう。もしポジショントークだとしたら、実名ブログの限界を感じますが。


ところで、小倉氏がよく名をあげているアメリカの憲法学者のキャス・サンスティーンは「インターネットは民主主義の敵か」の中で以下のように言っているそうです。孫引きになりますが。

「人々がネット上で個別の利害関心だけに集中し、狭い世界に閉じこもっていくことが可能となっていく事態を「共和制」への危機と見なしています。彼はそうした事態への対策として、ネットをより他者へ開かれた空間とするべく、自分と異なる主張を行うホームページに対してもリンクを貼るといったような法的義務が必要であると主張しています。たとえば中絶反対論者のページには、必ず中絶賛成論者へのリンクが存在するべきである、というものです。」

ised@glocomより)

さて、果たして「民主主義の敵」は誰なんでしょうね。

小倉弁護士のブログを読み込んでみる

何しろ15000ip/dayという話ですから、ここに来た人のほとんどはすでにご存じかと思いますが、小倉秀夫の「IT法の Top Front」を中心に巻き起こっている件について、「ネット右翼」というテクニカルタームとやらに釣られることなく(本筋とは関係ないみたいですからね)、小倉氏のブログをある程度読み込んだ上で考えてみようかと思います。

まず、騒動の経緯については以下のサイトのまとめがわかりやすいかと思います。

幻影随想 ただの炎上になぜ特別な名前を付けたがるのですか?
幻影随想 小倉先生、撤退作戦開始ですか?
若隠居の徒然日記 問題はネット右翼のあり方なんじゃない!

付加情報をつけずにあくまで小倉氏のエントリだけ読むならば、
NHKにおける匿名告発
切り札はぎりぎりまで切らないのがずるい大人の心得
公開フォーラムとしてのテレビの機能と政治家の器量
ネガティブ・キャンペーンの押し売り
blogのコメント欄は、プロパガンダのために万人に開放された領域ではない
「不快」なものは「不快」なのです。
他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだ
カミングアウトして下さる方を求む
続・カミングアウト募集
コメントスクラムを受けてみて
を読めば流れがわかりやすいかと思います。


で、まず一連の騒動を眺めていての率直な感想としては、例の「ネット右翼」募集のエントリには釣られそうになりましたが、これぞ優秀な弁護士ということなのか、言葉巧みに批判をかわして論点も移し替えていくその言動は、ある意味で敬服せずにはいられないところです。


「ある主張が「偏向」していると認識するか否かは、その主張が主題とする問題についての論者の立ち位置と許容度によって定まります。」

(「公開フォーラムとしてのテレビの機能と政治家の器量」より)

「特にこの事件では、朝日新聞を嫌いな人は、例えば本田記者が松尾氏を取材したときの録音テープを公開したとしても、それで朝日新聞社に対する攻撃をやめるとは期待できません。」

(「ネガティブ・キャンペーンの押し売り」より)

「なお、「断定」ではなく「疑問」形式にしておけば印象操作・ネガティブキャンペーンにならないだなんてことは全然ありませんね。その程度のレトリックでごまかそうというのはいかがなものかと思います。」

(「blogのコメント欄は、プロパガンダのために万人に開放された領域ではない」より)

「また、匿名掲示板でも匿名blogでも、自分とは意見が異なる第三者を「反日」だ「工作員」だとレッテル張りをして攻撃するのがはやっているようですが」

「いずれにせよ、人間としての器の小ささを感じます。」

(「他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだ」より)

「なお、私には、最近他人のblogを攻撃して閉鎖に追い込んだ方々相互の関係についての情報を現時点では把握していません。したがって、この点に関して私は断定的な表現を避けています。」

「ところで、少し前くらいから「ネット右翼」というテクニカルタームが日本のインターネット事情を語る上ではしばしば用いられます。」

(「カミングアウトして下さる方を求む」より)

「私は、特定の人をこちらから「ネット右翼」と決めつける気はないので、自主的にカミングアウトして下さいとお願いしたわけです。そして、その実態を知らないから、自ら話をして欲しいと思ったわけで、「『ネット右翼』というのはこういうものである」という決めつけは一切行っていないのです。」

「なお、私が表明していない私の意思を勝手に忖度して私を批判するのはやめて下さいね。」

(「続・カミングアウト募集」より)


以上は全て小倉氏のブログからの抜粋ですが、意思を表明せず、印象操作・ネガティブキャンペーンにならない書き方を勉強するにあたっては非常に参考になりました。なぜ唐突に「ネット右翼」の話題が出たのかは不思議ですが。


また、一連のエントリ以外も全てとは言いませんが、読んでみました。


「日米の報道機関の「取材源の秘匿」に関する態度のこの顕著な差は、「真相を探求して報道する」ということに関する意欲の差に端を発しているのかもしれません。なにせよ、日本の報道機関には、その報道によって読者又は視聴者が印象づけられる事実が真実か否かを探求する気が全くありません。」

「自らの報道によって、読者・視聴者が誤った事実認識をしてしまいその結果正しい判断をすることが阻害されることになろうとも、あるいは報道の対象となった人・企業が不当に名誉または信用を毀損されて致命的な損害を被ることになろうとも、そんなことはどうでもよいというのが、我が国の多くの報道機関の基本的な発想です。」
「取材源の秘匿」より)

「おそらく、某新聞社系の週刊誌記者は、「A子」さんという架空の人格に体験談を語らせて記事をでっち上げたか、あるいは虚言癖のある元患者の証言を検証もせずに記事にしてしまったのだと思います。だからこそ、「A子」さんが具体的に誰なのかを明らかにできなかったのでしょう。「真実の追究」を第一に考えるジャーナリストならば恥ずかしくてそのようなことはできなかったと思いますが、とりあえず医者を叩いておけば読者のルサンチマンの解消に繋がり喜ばれるという程度の志しかないから、そういういい加減な記事を簡単に作り掲載してしまうのでしょう。」

「記事の根拠を明示できないとすれば、米国においては、ジャーナリストとしては失格です。「読者からの信頼」等どうでも良いと考えていると判断されます。」

「しかし、日本のマスメディアは、この機能(情報の泉源を辿り、その真否を確認する」機能:引用者注)を果たそうとしていません。社会に流れている不確かな情報を元に感情を表現するだけなら素人にもできます。その程度のところで満足していてジャーナリストだなんてちゃんちゃらおかしいです。」

「マスメディアの機能」より)

読んでみてどうでしょうか。正直言って、素晴らしいと感じました。このような素晴らしい弁護士がいるのだと知って嬉しく感じました。

これだけマスメディアを非難している割には朝日NHK問題については朝日新聞に対しての批判を避けるのが不思議ですが。


他にも色々読んでいると、匿名による権利侵害についてとても高い問題意識を持っているということがわかり、専門家の意見だけに勉強になりました。

確かに問題ですね、匿名による権利侵害。一般論ですが、ネット上で匿名で誹謗中傷を行うような人を見たら気分が悪くなりますしね。特にそれが新聞記者などの一定の社会的権威を持った肩書きを名乗っている人によるものだったりした日には。


何はともあれ、切込隊長のこれらのエントリへのレスポンスもあるそうですし、進歩的な議論が続くのが楽しみですね。切り札はぎりぎりまで切らないのがずるい大人の心得と言いますし、議論の行方をじっくり見守りたいところです。

<2005/02/12 14:02 追記>
一部フォントを直しました。また、続きのエントリを書きました。

自壊していくサヨクの人々~また記者ブログが全焼

すでにあちこちで話題になってますが、またまずいことになっちゃった新聞記者さんが出たそうで。しかも個人情報がおともだちのブログの書き込み経由であっさりバレてしまったようであっはっはーという感じなわけですが。

幻影随想 「しがない記者日記」騒動まとめ
http://blackshadow.seesaa.net/
ちゆ12歳 「しがない記者日記」騒動
http://tiyu.to/title.html#17_02_06
切込隊長blog(ブログ) くだらない話の余波
http://kiri.jblog.org/archives/001379.html

まあまとめを読んでみると、端的に言って自爆なわけですが、んー、なんだろうな、推測ですがこの人たぶん今の今でも自分の対応に問題があったとは思っていなくて「ネット右翼の集団の暴力によって閉鎖に追い込まれた。自分は被害者だ」とか思ってるんでしょうね。

ていうか

 ブログのしくみってまだわからんのだけど、
 トラックバックという欄にいくつかあるからクリックしてみた。
 オー、NHK、というか、右翼大好きミーハーサイトだ。
 おもろい。
 論理は破綻してるし、「検閲」のなんたるかもわかってない。
 政治家に事前に番組を見せる、という行為じたいの重みもさっぱりわかってない。
 自分と意見が違うと「アカ」「サヨ」「プロ市民」とレッテルをはって議論をごまかす。
 でもおもろい。
 こうやって人間の思考力って退化するんだな、と
 人間から猿への逆ダーウィンの退化論を実証できそう。
 みんなで観察してみよう。


これすごいなあ(笑)
ツッコミ入れる気もしないというか、これはあまりに先鋭的すぎる例なのでネットでのコミュニケーションのサンプルにもならないですな。サヨクとしてはよくできたサンプルだけど。

まあ、「道徳的」「良識的」なサヨクの人たちは、その「道徳」や「良識」を疑うことをせずに、「当たり前」のものとしてやり過ごしてごまかしてきたから今こんなことになっているわけですが、彼らは自省すらできずに自分たちの価値観を共有しないものをこうやって排除して見下すことでどんどん孤立しているというのがよく表れているかと。ネットの右傾化ってよく言われるけれど、ネットでは彼らの権威が及ばないために現実世界でまだまだ力を持っているサヨク的権威主義の欺瞞が暴かれて反発を受けているだけの話だと思いますね。

参考リンク:なぜ人を殺してはいけないのか?
http://www4.ocn.ne.jp/~temp/mukou.html

上記リンク先では神戸事件の頃に話題になった「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問に対する大江健三郎の回答に対して、永井均がニーチェを引きつつ痛烈に批判している内容が書かれていますが、これは今のサヨクがどのようにダメかを端的に言い表せているのではないかと思います。

とは言え本当にやっかいなのは彼らがマスメディアや圧力団体によって支えられて強い権力を有していることなんですが。

ネットに書いて悪いこととまずいことは違う

ネット上で書いたらまずかったり悪かったりの話の続き。

王様の耳はロバの耳/Reiko Katoのお仕事日記
ネットで書いていいこと・悪いこと リターンズ

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=94110&pg=20050204

ちりんのblog
サイトに書いて悪いこと、サイトに書かなくても悪いこと

http://d.hatena.ne.jp/chirin2/20050205#p1
を踏まえて。
んー、なんか議論が錯綜気味なんで、長くなるけれど整理しつつ書きます。

まず一点明確にしておきます。この前書いたこのエントリについては、多分にネタ風味ですが、「まずいこと」についてであって「悪いこと」ではないということです。

「悪いこと」と「まずいこと」は何が違うのか。
「悪いこと」は大ざっぱに言えば、法的に違反していること、ある人の属する共同体(ここで言う共同体とは同じ場に属する人々や、同じルールを相互に認識する人々のことで、最少人数2人で成立するものです)の規範から外れることなのに対して、「まずいこと」はその本人にとって不利益になることだと考えます。

で、両者は明確に別物として捉えないと混乱します。というのは、法的には悪いけどある共同体的には悪くないというようなものや、法的には悪いと言い切れず、ある共同体A的には悪くないが、別の共同体B的には許し難いというようなものが世の中には混在しているからです。

そして、ある行為を「まずいこと」にする最大圧力は、その人にとって強い影響力を持つ共同体の圧力であり、法ではないのが現実です。「法的には悪いけど我が家ではこれが正しい」「法的には悪いけど業界的にはこうせざるを得ない」こんな事例は数多くあり、その共同体から離脱することができない限り、多くの人は法よりも共同体のルールを優先させます。その人にとっての利益を守るためにそうせざるを得ないからです。

今回の話では、そのような価値の転倒・矛盾をどうすれば解消できるかはひとまず問題にしません。まずこれが前提条件とした上で、一連の話のテーマとなっているネット上での振る舞いについて考えてみます。

ネット上での「まずいこと」が難しいのは、ネットは基本的に開かれている空間で、独立した一個人のサイトであろうとも全てをその人のルールで判断することはできず、絶えず不特定の第三者の目に晒されて様々なルールで判断される空間だからです。ローカルな共同体としての圧力が弱い代わりに、外部のルールから保護する力も弱いということです。

共同体的な圧力が弱い分、ある行為を「まずいこと」にする最大圧力は法的なルールとなりますが、かと言って法的なルールを守れば何を書いても大丈夫というわけでもありません。ネット上の各個人は「ネット/リアル」と区別される存在では決してなく、その人の現実の価値観を反映した存在です。したがって、ネット上の各個人が抱くルールもまた現実世界に存在する様々なローカルルールが何らかの形で反映されることで形成されます。

よく「ネットは自由な空間」と書いている人がいますが、それは本人が現実に属している共同体からの圧力が弱いことで勘違いしているだけで、いつどこで誰が現実の共同体にしたがったルールによって圧力をかけるか分からず、そのルールがもし多くの人の支持を集めたりマスコミのような強力な権力と結びついたらとたんに強い圧力となるので、決して自由ということはありません。むしろ、現実世界に存在する数多くのローカルルールに対して自覚的である必要があり、様々な考え方があることを常に意識しなければなりません。そして、そうすれば厳しい意見を浴びたときも案外冷静に対応できるものです。

もちろん、それを自覚した上であえて攻撃的なスタンスを取るというのもアリですが、往々にして相手にされずに終わるか撃沈するだけなので、オススメしません。「厨房芸」って難しいですからね。切込隊長R30氏は時おり厨房芸で読者を楽しませてくれますが、やっぱりこの辺の人たちは色々な面でスキルが高いです。

特に注意するべきなのは自分の属性を表明している人です。ネット上では限りなく無属性に近づくことが可能(日本語圏内に限れば「日本語を話す」以外は全ての属性が任意表明です)なために、ある人が属性を表明してその属性に関わる話を書けば、その属性を持たない人は「非○○」の属性を意識し、簡単に「非○○」の属性によって共同体が成立してしまいます。

そして、書いた内容はその人が属する共同体の問題として捉えられ、本来多面的な内容を含んだ問題すらも「○○/非○○」の二項対立の問題にすり替わり、不毛でストレスばかりたまる論争になってしまうでしょう。


さて、あらためてReikoさんの言う

 行動するのは全然マズクないけど、それをWebに書いちゃイカンだろー、ということと、そもそもそれはやっちゃイカンだろー、ということはきちんと区別して考えないと、わけがわからなくなる。

について、今まで書いた考え方から整理すると、「行動するのは全然マズクないけど、それをWebに書いちゃイカンだろー」は「その人の属する共同体や法のルールには反しないけれども、別の共同体のルールから見て問題となる行為」であり、「そもそもそれはやっちゃイカンだろー」は「その人の属する共同体のルールにも、法のルールにも反する行為」であると考えられます。

後者はレアケースを除いて論外なので置いておくとして、前者はネット上では常にグレーゾーンにあります。僕個人の考えでは、こういう行為にもし外部の共同体の人々を説得できるだけの根拠、理由があるのならば、そのことを示すことだけでも外部の共同体のルールによる圧力は軽減されるので、それを書くことを怠らないのが一番いいのではないかと思います。

もちろん「息抜きのためのネットでそんなかったりーことやってらんねーよ」という人もいるでしょう。そういう人はおとなしく書かないか、外部の目に晒されないように制限された空間を仲間と作ってそこで書く、あるいは2ちゃんねるに名無しで書き捨てるのが本人のためです。あと、最近はMixiのようなSNSもありますね。Richstylesさんも書いていますが、きっとこれからはクローズドな空間に向かう人がもっと増えることでしょう。

まあ、外部の人が圧力を与えるかどうかは書いてある内容の程度問題であって、
多くの人は「あー、こいつバカだなー」などと思っても素通りして二度と来ないだけなので、慎重になりすぎることもない気もしますが、ネットで書くことに慣れていない人は気をつけた方がいいでしょうね。

あと、ちりんさんの書いている、

 患者に向かって「お前なんか死んでも構わない」と言った医者がWeb上で糾弾されることはないが

というのは、それが起こった「病院A」という共同体の中ではその行為が許されてしまったが、患者は別の共同体の力を借りることができず外部に問題が晒されることはなかった、ということであったり、「病院A」の中のさらにローカルな共同体としての「医者A-患者A」のような関係の中ではその行為が許されてしまったが、患者は「病院A」という上位関係にある共同体に問題を伝えることが何らかの理由でできなかった、と説明できるかと思います。

それを実際には口にせず心の中にしまっておいて、Webでそっと吐き出した人は糾弾される

ことを理不尽だと嘆いていますが、これは二つの行為を取り巻く共同体の力関係が全く違う上に、全てのローカルな共同体を超越した社会全体の利益を守るパブリックな共同体の力が弱いために起こることでしょう。ここから一足飛びに「社会全体の利益とは」「公」「国」「人権」と言った話に進めるとまたややこしくなるし、今回の本題ではないのでやめておきますが。あくまで今はネット上の話ということで。

かなり長くなってしまったし、分かりにくい説明だったかもしれませんが、簡単にまとめると、

・「まずいこと」と「悪いこと」はイコールではない。
・「悪いこと」は共同体のルールによって定められる。
・ある人の行為に「悪いこと」のルールが適用され、その圧力が力を持つとき、その行為は「まずいこと」になる。
・現実世界では多くの場合自分の属する共同体の「悪いこと」ルールが最大の圧力となって自分の行為を規定する。
・それに対してネット上では自分の属する共同体の「悪くないこと」ルールよりも別の共同体の「悪いこと」ルールのほうが圧力として強い力を持ちやすい。
・ネット上で「まずいこと」にならないためには、様々な「悪いこと」ルールが存在していることに留意する必要がある。

こんな感じでしょうか。まあ、個人的には、無自覚に「まずいこと」を書き連ねている人がネット上で火祭りになっても「あっはっはっはー」で終わりなんですが。

社会利益を守るための更生保護

<愛知通り魔>男児ら3人死傷、男を緊急逮捕 愛知・安城
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050204-00000054-mai-soci

 氏家容疑者は窃盗罪で懲役刑を受け、1月末まで名古屋刑務所豊橋刑務支所に服役、出所したばかりだった。2日前から、以前に近くに居住した経験のあることから安城市に来て、放置された乗用車の中で寝泊まりしていたという。

もし引き取り手がいなかったとすれば、端的に言って犯罪者予備軍を放置した結果起きてしまった事件でしょう。もちろん、犯した罪に対する責任は当人に帰せられるべきものであって、適切に法で裁かればならないと思いますが、出所受刑者の再犯罪防止のために社会環境を整える必要があるのは間違いないと考えます。ということでとりあえず事実関係の確認のために更生保護などについて確認しつつ考察。

「更生保護」とは
更生保護とは罪を犯した人の立ち直りの援助をしたり、犯罪予防のための様々な活動を行うもので、その内容は主に保護観察、仮釈放、更生緊急保護。刑務所に収容された人が保護観察を受けるには仮釈放によって仮出獄を許された人でないとダメとのこと。

●保護観察
 更生保護の活動の中心は保護観察です。保護観察とは,犯罪や非行をした人を社会の中で生活させながら,その人に一定の約束事(遵守事項「じゅんしゅじこう」)を守る事を義務付けて,これを守るように助言・指導するとともに,就職の援助や悩みの相談に乗って,その立ち直りを助けようとするものです。保護観察を受けるのは,
  ア  家庭裁判所の決定で保護観察に付された少年
  イ  少年院に収容され,一定期間教育を受けた後,仮退院を許された少年
  ウ  懲役や禁錮刑を科せられて刑務所に収容され,刑期満了前に仮出獄を許された人
  エ  裁判所で刑の執行を猶予され,その期間中保護観察に付された人
  オ  補導処分に付され,婦人補導院から仮退院を許された人
です。それぞれ,決められた期間,保護観察を受けることになります。



社会秩序を守るために出所者の再犯罪を防ぐには、仮釈放が許されないような満期出所者こそ時間をかけて保護観察するべきではないかと疑問を感じます。

保護観察の受けられない満期釈放者に対しては更生緊急保護が行われることがあるようですが、本人が保護観察所に申し出ない限り行われません。本当に再犯罪を食い止めようと考えるならば、身寄りも住居も金もないような人間には本人が拒否しようとも社会に出る前の準備期間として強制的に適用するべきだと思いますがどうでしょうか。

●更生緊急保護
 刑務所から満期釈放された人,仮出獄期間を終了した人,刑の執行猶予の言渡しを受け,保護観察に付されなかった人などには,保護観察による指導や援助がありません。しかし,これらの人の中には,身柄拘束を解かれて社会に出ても住むところがなかったり,職業を得ることが困難であったり,生活の援助をしてくれる身寄り等がなかったりするために,当座の衣食住にも窮して再び犯罪に陥るおそれのある人もいます。このような人に対して,国自ら又は国の委託を受けた更生保護施設が当面の宿泊所の提供や食事・衣類などの給与,就業の援助,社会生活の訓練といった必要な保護を行うことを更生緊急保護といいます。この保護は刑務所などから身柄を釈放されてから1年以内に限り,本人の保護観察所への申出に基づいて実施されます。



また、以下のデータも更生保護の不十分さを示しています。

http://www.moj.go.jp/HOUSO/2003/hk1_2.html#2-3
出所受刑者の再入状況
 平成9年における出所受刑者について,14年末までの再入状況を出所事由別に見ると,満期釈放者の約6割,仮釈放者の約4割が再入している。
(平成15年版 犯罪白書のあらまし 〈第2編 犯罪者の処遇〉より)



いわゆる「人権屋」の自己満足を満たすためではなく、社会全体の利益を守るために犯罪者の更生保護は改善されるべきだと思いますが、皆さんはいかがに思うでしょうか?


<2005/02/06 20:45 追記>
どうやらこの容疑者、仮釈放されて更生保護施設で保護観察中だったのが、事件の数日前に施設から外出してそのまま行方をくらましたのち、犯行に及んだようです。

 調べでは、氏家容疑者は窃盗罪などで服役していた同支所を1月下旬に仮釈放された後、県内の更生保護会が身元引受人となり、同会の施設に入所した。しかし、犯行の数日前に外出したまま施設に帰らず、連絡も途絶えたという。
中日新聞ホームページより2月6日の記事

記事中には以下のようなコメントも載っています。

 ◇東海女子大学の長谷川博一教授(臨床心理学)の話

 ほとんどの受刑者は、服役中の態度に問題がなければ仮釈放になっているのが現状だ。しかし、服役中の態度によってその後の再犯の恐れは予言できない。安心だから仮釈放にする、仮釈放になったから安心という論理は軽率だ。 現在の制度は「更生」に踏み込んでおらず「罰」だけの刑になっており、再犯防止の観点が抜けている。氏家容疑者は「ムシャクシャして」犯行に及んでいる。服役中に模範的に振る舞うことで抑え込んできた衝動が、歯止めを失い表に出てしまったとも考えられる。本当に更生させるためには、表面的な規律正しさを求めるだけでなく、本人の内面にまで働きかけていくアプローチが欠かせない。